佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は父親?似ているのは故障が多いこと?

芸能
スポンサーリンク
スポンサーリンク

 

岩手県花巻東の佐々木麟太郎さん(18歳)が米国のスタンフォード大学へ進学することが発表されました。背番号は3番です。

スタンフォード大学はカルフォルニア州にある名門の私立大学で、カレッジ・ワールド・シリーズでは2度優勝、OBにはヤンキースで通算270勝したマイク・ムッシナー選手がいます。

「広い世界で学んでいきたい。人生を考えて決断しました」と力強く語った佐々木麟太郎選手。

通算140本塁打は高校歴代最多で昨年のドラフトの目玉とされていましたが、プロ志望届は提出しませんでした。

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手は2人とも花巻東高校出身で、2人とも大物なので共通点があるのではないかと思いますよね?

佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は父親?似ているのは故障が多いこと?についてご紹介します。

この記事で分かること

・佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は?
・二人が似ているのは何?

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は父親?

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手の関係は何なのでしょうか?

大谷選手の父親が、佐々木選手を教えていたり。

佐々木選手の父親が、大谷選手を教えていたり。

岩手県には素晴らしい監督と選手ばかりなのですね!

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手の父親について、詳しく見ていきましょう。

 

佐々木麟太郎選手の父親について

佐々木麟太郎選手の父親は、佐々木洋(ささき・ひろし)監督(48歳)です。

佐々木洋監督は、大谷選手が花巻東高校に2010年から在籍していた3年間育成した監督です。

花巻東に赴任後は、バトミントン部の顧問を経て、その後女子ソフトボール部の立ち上げに伴い監督をしています。

監督が大谷選手に伝えたことは「先入観は可能を不可能にする」ということです。

当時大量の本を読んでいたという佐々木監督は、「目標設定」を重要視しました。

そこで大谷選手が掲げた目標は「世界最高のプレーヤーになる。この道の開拓者になる」でした。

当時の佐々木監督はぶっとんでると思ったそうですが、あまり気に留めていなかったそうです。

大谷選手は不可能を可能にして、非現実的なことも現実にしようと思っていたのでしょうか。

佐々木監督と大谷選手はノートのやりとりを通して、目標設定のコミュニケーションを密に取っていました。

 

大谷翔平選手の父親について

大谷翔平選手の父親は、大谷徹(おおたに・とおる)さん(61歳)です。

徹さんは、佐々木麟太郎選手が中学時代に所属していた「金ヶ崎シニア」の監督として指導していました。

2014年に大谷徹さんが設立したチームです。

徹さんが教えていたのは、「バッティングカウントではフルスイングをしなさい」でした。

佐々木麟太郎選手は、中学時代から恵まれた体格で本塁打を量産していました。

当時佐々木選手は、投手兼三塁手としてプレーしていました。

大谷徹さんは、佐々木選手に「逆方向に打つ方が打率が残せる」「右肩が開くとボールは飛ばない」と教えました。

当時の大谷翔平選手と比較しても、中学時代は佐々木麟太郎選手の方が打球がすごかったようです。

「全然、中学時代は力はこっち(麟太郎)の方が上。当たった時の力はすごい」

引用元:スポール報知

佐々木麟太郎と大谷翔平が似ているのは故障が多いこと?

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手が似ているのは何でしょうか?

2人とも花巻東高校出身の大物選手ということは分かりますよね!

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手の似ていることについて詳しく見ていきましょう。

①憧れの選手がいるから花巻東高校に入学

②目標が似ている

③大物選手

④故障が多かった?

①憧れの選手がいるから花巻東高校に入学

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手の似ているのは、憧れの選手がいるから花巻東高校に入学したことです。

佐々木麟太郎選手:小さい頃からの目標で、菊池雄星選手や大谷翔平選手の野球を見て育った

大谷翔平選手:中学3年生の時、花巻東高校のエースだった菊池雄星選手の姿を見て進学を決意

佐々木麟太郎選手は、野球だけでなく人として成長できる環境だと思い、他の学校は考えられませんでした。

しかし父親である佐々木監督は、岩手県以外の全寮制の他校の野球部を勧めていました。

佐々木麟太郎選手の意思は、相当硬かったのですね。

「花巻東じゃなければ自分は野球を捨てる覚悟はできていた」

引用元:日刊スポーツ

 

一方、大谷翔平選手選手は、花巻東高校の菊池雄星選手の活躍に憧れを持っていました。

 

その花巻東には世界を巻き込み日本中を騒がせたすごい男がいた。だから、僕も雄星さんのように尊敬される選手になりたい。愛されるプロ野球選手になりたい。ドラフト1位で。僕もドラフト1位で・・・」 

引用元:ベースボールチャンネル

2016年9月、日ハム対西武戦で投げ合った日にも、大谷翔平選手は菊池雄星選手は特別な存在と話しています。

相手の先発が(菊池)雄星さんというのも、僕的には特別な感覚でマウンドに立てるので、最高のシチュエーションで回って来たなという想いでマウンドに行きました。僕にとって雄星さんは特別な存在なので」

引用元:ベースボールチャンネル

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手は、二人とも花巻東高校で活躍した菊池雄星選手の存在が大きかったのですね!

②目標が似ている

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手が似ているのは目標です。

佐々木麟太郎:「今まで誰もやったことがないような、新たな道を切り拓けるように頑張りたい」

大谷翔平選手:「世界最高のプレーヤーになる。この道の開拓者になる」

大谷翔平選手の方が、明確な目標になっていますね!

佐々木麟太郎選手も菊池雄星選手や大谷翔平選手の後を追って、メジャーリーグで活躍したいということなのかもしれませんね。

 

③大物選手

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手が似ているのは、二人とも小学校の頃から大物選手ということです。

佐々木選手

江釣子(えづりこ)小学校1年生の冬から、江釣子ジュニアスポーツ少年団で野球を始めています。

小学校6年生の時には、1年間で25本の柵越えホームランを打っていました。

ライト側の民家にボールが飛び込まないようにセンターに打つことを心がけたそう。

努力家で毎日300回バットを振っていました。

小学校で県大会に出場した時には身長が174cmあって、チームメイトも迫力があって怖かったそうです。

 

「麟太郎はその時から身長が174センチあって……。すごく迫力があって怖かった」と笑う。

引用元:Full-Count

大谷選手

奥州市立姉体(あねたい)小学校3年生の時に、水沢リトルリーグで野球を始めてます。

小学校5年生の時に、球速110km/hを岩手県営野球場で記録

当時の捕手は、ストレートがあまりにも速すぎて、ものすごく怖かったそうです。

1試合で6回17奪三振の成績を残しています。

バッティング練習では、水沢リトルグラウンドの河川敷で何度も川に放り込んでしまい、ボールが使い物にならなくなりました。

小学校5年生の時には160cmを超えていたそうです。

 

「翔平のボールを初めて受けたときのことは、はっきり覚えています。正直、ものすごく怖かった。ストレートがあまりに速すぎて、まったく捕れなかったんで

引用元:週刊現代

 

 

④故障が多かった?

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手が似ているのは、故障が多かったことです。

佐々木選手は、高校入学後の故障があまりにも多いと言われています。

疲労骨折や手術、背中の違和感など、5回ほど故障を繰り返しています。

それは骨の成長が心配されていました。

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手も、骨の成長が止まらず体のバランスが合わなかったそうです。

それもそのはず、二人とも大柄の選手ですよね。

佐々木麟太郎選手・身長:184cm 体重:113kg

大谷翔平選手・身長:193cm 体重:95.3kg

佐々木麟太郎選手は、20歳くらいまではまだ身長は伸びるのではないでしょうか?

佐々木選手の方が体重が重いですが、骨の成長が止まるまでは、故障を向き合いながらと佐々木監督は話しています。

また、大谷翔平選手も骨の成長が止まらず、股関節を痛めた時は半年間練習ができなかったそう。

走れないのでご飯を食べて寝ていたら、冬に20㎏増えたそうです。

打つ練習だけはできましたから、バッティングが良くなって160キロ投げることができました。

大谷選手は高校野球で有終の美は飾れませんでしたが、未来につながる投資ができたということですね!

「高校時代に目標であった日本一になるということは果たせませんでしたけど、160キロを投げるための身体づくりをして、それが果たせた達成感はあります」

引用元:Number Web

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手も故障が多かったのですが、将来のために体と向き合う良い時期になったということですね。

まとめ

”佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は父親?似ているのは故障が多いこと?”についてご紹介しました。

・佐々木麟太郎と大谷翔平の関係は?
佐々木麟太郎選手の父親は、佐々木洋監督です。

佐々木洋監督は、大谷選手を花巻東高校で3年間育成した監督です。

大谷翔平選手の父親は、大谷徹さんです。

徹さんは、佐々木麟太郎選手の中学時代「金ヶ崎シニア」の監督です。


・二人が似ているのは何?
①憧れの選手がいるから花巻東高校に入学

②目標が似ている

③大物選手

④故障が多かった

佐々木麟太郎選手と大谷翔平選手は、親子で一丸となって指導してきたということですね。

お二人にとっては、どちらも父親であり監督であり恩師なのですね!

今後も大注目の二人から目が離せませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
芸能
sun0710をフォローする
sunsun blog

コメント

タイトルとURLをコピーしました